2020年概括

Nyro2
Dec 30, 2020

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2019~2020あらすじ

2019年11月に上京して東京のIT系企業に勤めるも1ヶ月で職を辞し(「社内トップの技術力」を持つとされていた人間が「Go言語は純粋関数型言語」とか言い出したりとか、社内Slackに出会い系アプリの攻略指南が共有されていたりとか、「弊社をGAFAのような会社にしたい」と豪語する役員が「基本情報技術者って凄そう、これ全員持ってたらGAFA目指せる?」とか言い出す会社だったとか、あたりで色々察して頂きたい)、某友人宅に転がり込み4ヶ月ほど友人宅清掃員として過ごし、4月からいい感じの会社でプヨグヤミングをする人としてやっていっている次第。

聴いた音楽について

特に繰り返し聴いてたやつをいくつか。

Age Factory

めっちゃ好きで、いま一番推しているバンド。普段ほぼSpotifyで聴いてるのに新品で物理CD買ってしまうくらいには。

2020年作『EVERYNIGHT』も非常に良かったんですが、個人的には2017年に発表された『RIVER』って曲が一押し。

風の中で 抱えていたろ 怒りだけは とても 暖かく思えた

というフレーズは転職活動中の心の支えでもあったし、人生を通して忘れたくないと思っている感覚の、鋭い言語化でもあると思う。いつか暖かな世界に辿り着ける時が来たとしてもなお、あの暖かさを忘れてはならない。

ズーカラデル

去年だか一昨年だかに、何とはなしにYoutubeで『漂流劇団』のPVを観て、これめっちゃ見覚えある風景では、、、となったのが聴いた切っ掛けだったか。今年も折に触れて聴き返したりしていた。

今からこの世界が 優しく変わらないかな 嫌いなあんたがいつか 幸せになれますように

このフレーズを最初に耳にした時のざらりとした感触は今でも強く覚えていて、ここで作られた引っ掛かりが好意に転じるのにさほど時間は掛からなかったような気がする。祈りという行為について。

bacho

『レコンキスタ』で聴き始めたのが2016年だったか2017年だったか。結構好きなバンド、くらいの立ち位置だったはずなんだけど、最近になって俄に自分の中でのプレゼンスが上がってきている。

また慰めている、また振り返っている
確かな今日をすり減らしながら
最高の日々は引き出しの中、もう死んでいる

上の世代のオタクたちはブログ書いたりゲームやったりすることをさぼっていて実質死んでるようなものでは、みたいなこと大学時代は言ってたはずの同世代の人間たちがソシャゲ以外なにもしなくなってるの見ると結構ピュアに怒りの感情が湧くんですが(そうなってしまったこと自体にというよりは、自分もそうなってしまう可能性を真剣に考えて / その上で自分はそうならないという強い覚悟をした上で言ってた訳じゃないのか? もしかして場の空気に乗っかって適当に格好いいことをほざいていただけなのか? といった失望と呆れのニュアンスで)、自分は絶対にそうはならないという決意を充填するために聴いたりしている。死ぬまで走れ、というシンプルな鼓舞が心に響くうちは、少なくともまだ死んではいない。

時速36km

例によって例のごとくSpotifyでたまたま見つけて聴いてるバンドなので来歴とか何も知らない。知らないまま聴くのも面白いな、と思って敢えて調べないままずっと聴き続ける感じのやつになりそう。

胸の高鳴りは確かに今だってあんのさそれにぼけていられた青春 シラフじゃ受けきれない今
憧れは時に無力感に化けんだ それすらもヒロイックな妄想の材料に化けるけど
「悲しみ湛えて打ちひしがれてでもなんとかやってる風」を誰もが装うだけ

bachoもそうだけど、ある種のどうしようもなさ、情けなさ、絵にならなさを(それを誤魔化そうとしたり、都合よく歪曲しようとしたり、またそういった防衛機制が失敗することすら含めて)高い解像度で描出した上で、それでも、と鼓舞を続けられる手続きに殊更弱い気がする。言い訳までをも先んじて全て潰された上で、根拠のない「立ち上がれ」「走れ」といったメッセージを投げつけられる構図に対して、自分はどうやら救済を感じるらしい。面倒なのかちょろいのか。

その他

The Back Horn(最近はパルス以降もよく聴く)や9mm Parabellum Bullet全般、Intervalsの新譜、おやすみホログラムの再録版、などを聴いていた。2021年はもうちょいメタルの新譜を追っていきたい。

やったノベルゲームについて

4月~10月は忙しくてほぼ何もできていなかった。全体的にDL販売のセールで買ったものが多く、2021年は新作をやっていく時間も取りたいなあと思ったりなんだり。

以下個別感想。基本的に致命的なネタバレは避けているはずなので未プレイでも読んで大丈夫と思われる。

『sense off』

初元長作品。めちゃくちゃよかった。

思索とコミュニケーション、そしてそれらを記述するテキストの冴えで勝負する作品であるので、面白くない瞬間というものが相対的に非常に少なく、常に脳汁を出しながらテキストの快楽に浸ることができた。

一方、上記と同様の理路で不満点を挙げることもできて、過去編の情報理論まわりは正直かなりキツかった。全体的にはそんなに変なことは言ってない気はするのだが、なにしろ教科書の引き写しみたいになってるのでそんなのハッタリだけで済ませていいから元長のテキストを読ませろ!!!! ってなっちゃう感じの……。

『ギャングスタ・リパブリカ』

元長作品の流れで。これも大変よかった。

後半から始まるヒロイン同士の対決路線が本当に好きで、意見の食い違いが発生した際、適当に流してなあなあにした方が総合的には和を保ててアドでしょ、ってのが傍目に明らかな局面で敢えて正しさを貫いて戦闘状態を開始する誠実さに惚れてしまうんですよね。人間同士の交流というのは本来こういう風に為されるべきなんだよなあ、とか思ってしまった。「その惰弱は許さない」の一言で済ますdisは積極的に使っていきたい。友達失くしそうだな。

とはいえ、実は前半に提示された「悪」の定議論の方が個人的には気になっていて、これが後半のためのお膳立てとして消費されてしまったことには若干のもにょりを覚えていたりする(あれは偏に、特権的なjudgeを確保しプレイヤーの代理として機能させるための仕掛けであったと認識している―――対立するヒロイン両者がいずれも「正しさ」を志向している時、そこでのプレイヤーの選択が「攻略ヒロイン」を選択するのであれば、その選択はつまり誰の正しさを支持するかの表明にほかならず、であれば「主人公」は彼女らの正しさを支持によって保障できる者でなければならない……と考えた時、彼が(作中において示されるような意味における)「悪」であることが要請されるのであろう)。これは個人的なobsessionの問題でもあるのだけれど、私は飽くまでも主人公orientedな物語を尊ぶものであるので(つまり、「悪」であることが手段でなく目的であるような物語が読めたらよりよかった、ということ)。

『なついろレシピ』

ちょっと信じられないくらい良かった。かにしのの話をする時に分校√、特にみさきち√の話をしたがる人間にはそれなりの確率で刺さりそうな気がしている、といえば何となく伝わるか?

「レシピ」に着目しているのがとても鋭いと思っていて、ひとに振る舞うための料理のレシピほどに誰かの心遣いを高純度で保存する媒体って他にあまりないような気がするんですよね。レシピとは端的に他者を想う心を結晶化させたものであり、その内容の再現は在りし日の心遣いのリプレイに等しい。また一方で、レシピを創り上げ / 保存するという行為は「いま、ここ」で成立している暖かな時間を活写することに他ならず、その行いには目の前の団欒を尊ぶ気持ちと、いつかの未来にそれを参照しに来る誰かを先回りして想う気持ちとが宿っている。このようなロジックを、ルーツを失ってしまったふたりが兄妹になる物語に組み合わせることにより、つまり彼らをして先人の想いに触れさせ、また未来の誰か―――自分たちを含む―――へ想いを馳せさせる(・・・・・)ことにより、暖かな世界を純度高く成立させることに成功していたのが本作だ。孤独な二人の再生の物語。総じて素晴らしい作品であった。

あとBGMめっちゃいいですね。特に調理時のやつ、包丁の音や電子レンジの音が楽器として自然に遣われてて聴くたび楽しくなってしまった。

『見上げてごらん、夜空の星を』

まずまず良作ではあった。が、たぶん二度と(少なくとも個別√を)再プレイすることはない。それくらいの温度感。

共通√がハチャメチャに素晴らしく、殊に幼馴染の片割れの描かれ方が好みド真ん中であったために「これはひょっとして『コンチェルトノート』を超える幼馴染ゲーなのでは……!?」と変に期待してしまったのも悪かったが、個別√は正直かなり凡庸で、このキャラだけでもどうかホームランを打ってくれ、と願いながら最後に読んだ件の幼馴染√も共通√で見せた強度が跡形もなく失せてしまっている残念な仕上がりだった。期待度が高かっただけに失望が強かった、という話でしかないといえばいえる。総じて、「幼馴染」や「天体観測」といったモチーフの強さをライターだけは信じてあげてほしかったな、という印象ではあった。充分に強まっているはずの要素をスルーして、不要な部分に肉付けしてしまったように見える。

やや脱線する。たとえば『大図書館の羊飼い』の凄さの一側面として、「目の覚めるようなイベントなんてなくたって人生は思索や懊悩に値する問題で満ちているし、人間は一般的に解決策を具体的に頭で理解した上で尚もその問題を一切解消できないことがよくある」という身も蓋もなくリアルな認識に立脚することで、快楽に満ちた人間関係に無用な軋轢を一切持ち込まず、さりとて取り扱う問題がキャラクター当人たちにとっては極めて深刻である……といった状況を生み出せることを、高い水準で実作として提示したことが挙げられると思うのだけれど、みあげてが志すべき世界観(ここでは登場人物が全般的に有する人生観 / 人間観くらいのニュアンス)って本来はそういうものだったんじゃないかな、とか思ったりなんだり。

なぜ幼馴染たち三人はすれ違い続けるのか、なぜ賢く優しい後輩が賢く優しい先輩を蛇蝎のごとく / 理不尽なまでに毛嫌いするのか、そういった問題に対して誰の目にも客観的に納得可能な「理由」を几帳面に配置することが本当に必要だったのか。そしてそれらストレスフルな人間関係の軋轢によって物語を遅滞させ続けることを物語後半の基調的なトーンとして設定したのは、本当によいことだったのか―――つまり、「見果てぬ星空を想像力の翼でどこまでも征く」という眩しい夢をかつて掲げた少年少女たちの物語が、人の世でうつむきながら痛みに耐え続けるようなもので本当によかったのか? といった点について、個人的にはかなり辛い評価を下さざるを得ない。落とし物を暗がりで探り続けるような物語ではなくて、果てぬ夜空に手をいっぱいに広げ続けるような物語こそが見たかった。

『ハロー・レディ!』

最終√の最後の最後以外はすべてが最高だった。この物語は自分のために書かれている、と確信させてくれる筆致。

しかしオチの付け方が個人的な好みに照らし合わせると最悪の一言で、これたぶんオチまわりのオマージュ元はN社のUが書いたアレだと思うんだけど(全体的な構成の着想元はAのRが書いたアレだと思う)、あれが異常な強度を備えたヒロインとして成立していたのは偏に彼女の興味関心が主人公にしか寄せられていなかったから≒ヤンデレであったからで、その軸をなくしたら単なる異種になってしまうのではないかしらん、という素朴な疑問が発生した。いやまあ異種との生存闘争をSFとしてやるのは勿論アリな勝ち筋なんだけど、そこらへんでカタルシス確保できてなかったしな……(ハローをめぐる設定を積むのが構成としてちょっと遅すぎた印象がある)。倫理を共有できない異種との闘争をやるのであれば、相手方が人間みたいに喋る描写はすべて要らなかったんじゃないかなあ、とも。たとえばエイリアンなり霧の怪物なりが「矮小なる人間どもめ!」とか言いながら襲ってきたら嫌ではあるけど恐ろしさはむしろ減退しちゃうと思うんだよなあ、みたいな話。

あと全体的に最果てのイマのオマージュがすごく、ロミオってこの世代のライターにここまで強く参照される立ち位置なんだなあ、と感慨深くなったりしていた。それと裏社会設定周りの戯言シリーズっぽさにオッとなったり。

『まおてん』

つよきす3学期がキツくて途中でやめてしまったのだが、これはつよきす3学期に問題があるというよりは自分があまりにもつよきすという作品に対して強い拘りを持ちすぎているからではと自省せざるを得ない部分もあり、であるならばライターのさかき傘の実力はしっかりと別作品で確認しておかねばなるまい、などと思いプレイしてみた。あと500円セールだったので……。

結論から言うと大変楽しめた(不満はあるが)。かなり癖のある筆致であることは間違いなくて、所謂「チェーホフの銃」の教えを神経質なまでに遵守しようとしているような印象がある(ありとあらゆるものが、物語の中で一定の意味を背負わされている)。この手法により物語が展開するたび伏線の存在が短時間に次々と明らかになるため、エモの瞬間最大風速を高めることに成功している一方、終盤に差し掛かったあたりでは残った伏線と解決すべき謎との対応が消去法的にある程度推測でき、カタルシスが阻害されているというデメリットもあった(このキャラはまだ話に絡んでないしこの設定はまだクロースアップされてないからここらへんでピックアップされるだろうな、このキャラは他の√で目立った役割がないからここで活躍するだろうな、といったように)。

あと多分これ企画段階では「魔王がやってきてハチャメチャな日常を送る」っていうコンセプトだったのがシナリオ実作中に主人公の側に物語の軸足が寄ってしまったんじゃないかなーという印象があって、実際のところ魔王カリンちゃんが最もモブっぽい / 重要度の低いヒロインなんですよね。彼女は来訪者なので幼馴染や姉のような主人公との積み重ねがなく、通り一遍のボーイ・ミーツ・ガールを履行する以外にあんまりやることがない、とゆー。この転倒はちょっとメタ的な水準で面白かったかもしれない。いやプレイ自体の快楽には結びつかないんだけど。

『シュガーコートフリークス』

お金も製作期間も足りなかったんだろうな、という哀しさがある。現状でも佳作といってよい作品ではあるし、全体としては楽しめたものの、充分なリソースがあれば名作……具体的には00年代の批評空間で中央値80くらいを狙うポテンシャルがあったような印象。これが最終作というのは様々な意味においてつらくなる話だ。UI周りがチープなのも非常に印象が悪く、同社の『ピリオド』がある種異常なほどに作り込まれた操作系を備えていたのに比べると、いかにも凡庸というほかない。

シナリオ的にも省力化の努力が随所に見られており、個性豊かで魅力に溢れるサブキャラクターたちの大半は物語序盤でフェードアウトするためモブに差し替えても大勢に影響はなく、最も盛り上がる賢竜大祭のシナリオは一切の分岐を含まないため完全に共通√となってしまっていて(既読スキップしていると二周目以降は完全に飛ばされる!)、個別√それぞれが後日談のような雰囲気を纏う原因と化している。ひとつひとつのイベントも関連性が低くなるよう作られており(これは多分、それぞれのイベント同士の繋がりを疎に作っておけば最終的に切り貼りが楽だからであろう)、総じて構成美という言葉とは無縁な作りだ。

キャラクター造形は概して素晴らしかった。声優たちの演技も良かった。世界観も魅力的だった。シナリオの盛り上がりの部分にも文句はない。ただ、それら良質な材料をひとつのノベルゲームとして練り上げるだけの制作リソースがなくて、最低限の体裁を整えるのが精一杯だったのだろうな、という印象。

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Nyro2
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Software Engineer: C++/VHDL/Scala/Swift/Kotlin/TypeScript